まつうらんど

留学、海外、英語、国際協力、時事問題などなど。読んでいて面白いブログをめざします*当ブログは完全な個人の見解です

大学生の4年間で学んだこと

2019年も佳境ですね

 

さて、大学学部生としての4年間の旅も終わりを告げようとしています。(絶賛卒論執筆中です。)

 

2016年の4月にまだ見ぬ世界に心躍らせ、単身(出身高校北嶺中・高等学校 – 学校法人希望学園 » 合格実績から同期で京大に来る人はいませんでした。)、北海道・札幌の片田舎から京都にやってきました。

 

どうやら私は4年間で、計2年11か月を京都、1年をフィリピン、1か月をガーナで過ごした(す)らしいです。

生まれてから18年間札幌で過ごし、中高の6年間は125人の男子だけで過ごすという極めて狭い世界で育ってきたので、大学生の4年間はそれはそれは刺激的なことの連続でした。

 

また、新たな場所に身を置くというのは新たな価値観、考え、人と出会うわけで、この記事では、自分が影響を受けたこと、これからの人生で根幹を成しうる考え、また京都、フィリピン、ガーナ、その他の国で感じた現実についてつらつらと述べていきます。

また、この記事は特定の人を指しているわけではなく、おおまかに、だいたいこんな感じだよねということを書いています。

これらは自分の価値観ですので、読んでいて気に食わないと思う人もいることでしょう。

それでいいんです。この記事は単に自己満足かつ大学四年間の振り返りであり、

すべての人に好かれる必要がないということも大学の4年間で学んだことの一つなので。(八方美人って疲れるよね、愛想笑い多い人とか見ると大変だなって思う)

とまあ、なんかネット上で誰か吠えてるよくらいに楽しんでくれたら幸いです。

日本食はうまい

日本食といっても祇園の懐石料理が、、、とか鴨川沿いの湯豆腐がとかじゃなくて(勿論おいしいのだけれども)、

牛丼・味噌汁・納豆・漬物・緑茶とかの大衆的なものです。

海外から関空に帰ってきて直行するすき家は魂をよみがえらせます。

二日酔いの味噌汁は体力回復メーターが振り切れます。

寒い夜に飲む熱々の緑茶は体の守護神になります。

結局、食べて育ってきたものが体を作ってるんだろうなという感じです。

いろんな国にいろんなおいしいものがあるけど、日本食が落ち着く味をしているのは日本人だからなのだと確信しています。

現に他国の人で日本食が苦手であるという人もいますし。

まあ逆に言えば日本食をたまに食べられるなら日本に住むことにこだわる必要がないということでもあります。

ウォシュレット(日本のトイレ)は偉大である

おケツに優しいです。

こんなにほぼすべての場所でトイレがきれいな国は今までで見たことがありません(今後見るかもしれないけど)。

そもそも、日本は清潔です。

これは世界に誇れます。ていうか胸を張って誇りましょう。もっと誇れ。

TOTO, LIXILに感謝。

トイレは落ち着いて用を足す場所だと思ってたんですけど、そもそもトイレが落ち着く場所なの日本だけなのでは??

北海道の人は本州の人より優しい(気がする)

完全に体感なんですけど、優しい。

なんででしょうね。

ちょっと京都とか東京の人は生き急ぎすぎ?北海道の人が広い土地で生きてるからのんびりしてておおらか?

北海道の人の方がおおらかな(寛容的?)気がします。なんか気が強い人(aggressive)がおおいなあって京大に来てから思いました。

完全に体感です。

親は偉大

これ、すごいです。

僕の家庭の場合は、父も母も共働きで稼ぎ、家事を共同で行い、二人の子供を大学に二人通わせ、十分な教育も受けさせ、北海道にいた18年間十分に育ててもらい、大学に入ってからの学費を払ってくれ、感謝してもしきれないなと思うようになりました。

自分はすごく恵まれた環境で育ってきたということをつくづく実感せざるを得ません。

自分が親の立場(実際になるかは知らない)になったとして、身を粉にして同じことができるのかというと謎です。享受した者としては、下の世代に受け継ぎたいけど。

京都は寒くて暑いが景色はいい

よく友達とする会話で、「冬は京都の方が北海道より寒いから!!!」「北海道の人は冬に家で暖房付けて半袖を着てアイスを食べる」(僕は北海道出身です)っていう鉄板ネタがあるんですけど、北海道の家は防寒対策がしっかりしているのに対して、京都の部屋は窓は二重じゃないし、ストーブもない。外はめっちゃ寒いのに!
夏は動けば汗だらだらになるほど暑いし、京都。

ちなみに夏で最も暑い期間は熱帯に位置するフィリピンよりも京都市の方が暑いというネタがあります。(ガチです)

でも観光スポットはたくさんあるので友達が京都に来た時にガイドは非常にしやすいです。

同調圧力・出る杭は打たれる (in Japan)

これですよ!

ちょっと自分たちと違うことをしていたら、悪口っぽくいってしまう人々。

勉強する人を意識高い人とか。

みんながこうなんだからあなたもこうしようね。

みたいな。

勿論全員じゃないですけど、日本には蔓延っているし、おそらく日本の会社とかはそういう気質満載なんだろうなとうすうす感じます。

幸い京大はそういうのが相対的に少なくて、面白いことや人と違うことをやってる人に興味をもったり受け入れたりしていると思いますけど、

大学入試の日の昼休みにネタをやってた学生を処分対象にしたり、名物の立て看板を京都市の圧力に屈して撤去したり、学祭の期間を短縮しようとしてきたりなど、徐々に学生の自治に任せているところに介入してきて自由が今後減って、名実ともにそこら辺の大学になりそうなのが残念です。(実際すでにそうかもしれない)

 

常識・前例を疑う

同調圧力の話に似ていますが、「今までこのやり方だったから変えずに行う。」

「周りがこう言っているから従う。」

「これがエリート道だからこうする」

ほんとにそれらは、あなたにとって、ある組織にとって、最適解ですか?

時代によって移り変わりがあるし、最適なものも変化します。

変わることを恐れず、我が道を突き進み、努力を重ねれば、なんだかんだ、いいように転がると思います。

目新しいことに挑戦しようとすると周りがたまに白い目で見てきますが、

それはある意味、心配を表しているわけでもあるので、結果を出して黙らせましょう。

いつか好意的にとらえれくれると思います。

目指すなら高い嶺

これは母校、北嶺高校のキャッチフレーズなんですけど、常に志を高く持てということです。

高い志っていうのは客観的評価ですごいこととかじゃなくて、

自分が目指したいけどすぐには実現できなさそうな自分像を目標とするっていうことです。

そりゃあ最初にどでかい目標ぶち上げてもすぐに実現できるなんて思わないし、実際にできないです。

自分の今の現状と向き合って、戦略立てて行動にちゃんと移せば、最初の目標通りとまではいかなくても、なんだかんだ納得はできる結果になるんかなっていうのを実感しました。

地に足つけつつ、高みを目指して努力するのはかっこいいと思いますよ。

 

「おもてなさない」日本人

かつて、東京オリンピックを招致するときに「おもてなし」と発言した著名人の方がいらっしゃいましたが本当に日本人はおもてなしができているのでしょうか?

観光立国を目指しているのに、観光地主変のぎゅうぎゅう詰めの公共交通機関、海外観光客の多数を占める中国人への対応。客をモノのように扱う店員。店員をモノのように扱う客。

何もおもてなしは観光客だけに行うものではありません。

そもそも個人と個人の間に相手を思いやりながらのコミュニケーションがありますか?

ということです。

どこかの文部科学大臣が「身の丈が~」という発言をしていましたが、まさに上流階級だけよければ良い、「同じ国民でもTOEFL2万5千円を払えない奴は知らねーよ」という考え。自分が年金を受け取っているかわからない財務大臣。国民に寄り添うべき政府がこれ。世も末。

多少、どこかの国の政府への批判が入ってしまいましたが、自分が関わる人への思いやりを持ちましょう。人を人として接しましょう。ということです。

これだけで周りがすこしハッピーになると思うんですよね。

今を楽しむフィリピン人

長く滞在した国がフィリピンなんで他の国にもこういった考えで生きている人が大多数の国は他にもあると思います。

あくまで一例です。

今を楽しむことに注力するって現実の満足度を高めるためにはすごい大事なことだと思うんですよね。

大学3年生の夏休みで就職活動をしなきゃいけないってホントにそれでいいんですか?

もちろん学生側に落ち度はないと思うんですけど、もっと落ち着いて卒業後に就活させるとかすればいいのに。

大学3年生の時に学生に課すべきなのは、エントリーシートを書かせて、よくわからないテストを受けさせて1週間くらいインターンをさせることなんですか?

インターンするなら半年くらいさせた方が、仕事内容や社風もよくわかって、マッチングもうまくいくと思うんですけど。

SPI受けるくらいなら、単純に大学で学んでいることをアピールさせるべきなんじゃないですか?

何度でもいうけど、別に学生は悪くないと思う。

なぜなら、例えば、行きたい会社が採用活動を早めに始めるなら合わせざるを得ないし、東京でしか企業が面接しないなら東京行かざるを得ないし。

少なくとも就職活動において、レールから外れたら結構めんどくさいですよね。

個人的にはフレキシブルに採用活動を行う会社はいいなと思う。採用活動だけでなく、様々な面で対応が柔軟そうだよね。

日本人よりおもてなすフィリピン人

留学してた時でも、研究してた時でも感じたことなんですけど、人助けをしようという意識が強い。

 自分が外国人だからなのかわかりませんが、日本人よりは人と人とのつながりがつよいなってつくづく思います。

フィリピン人同士での仲の良さは本当に家族のようです。

逆に友人間の裏切り的なことにはひどくショックを受けてしまいがちなフィリピン人ですが。

フィリピン料理はうまい

東南アジアの料理ってタイ料理とか、ベトナム料理とか味のアピールが強くて久しぶりに食べるとうまい!!!って感じなんですが、フィリピン料理はしょうゆベースなんで、普段食べる食事としては最適。素朴な味で毎日食べられる。

肉とコメばっかりで太っちゃうんですけどね。

コネは大事

コネって聞くとネガティブな印象を持つ人もいるかもしれないんですけど、親の七光りとかに限らず、「人とのつながり全般」ってことです。

自分に有利に働いていかせるコネは活かした方がいいです。

そしてコネっていうのは日々の生活のなかで自然と生まれると思っています。

日ごろの行いがよくない、気に食わない奴にそもそも人は手助けしたいと思わないので、そういう意味で、人と接するときには相手を思いやって行動するのが大事かなって思います。いざというときに助けてくれる、頼れる相手がいるというのは自分を強くしてくれます。

勿論、親の七光り的なものがある人は利用できるなら利用していいと思います。そのコネを利用した後に自分がどのように生きていくかはその人次第なのですから。

助け、助けられ協力して生きていけば、自分ひとりじゃ実現できないことも実現できてしまうのです。

そして、これに必要なことは思いやり・相手への敬意、そして困ってる人がいたら助ける。

こうすることで自然と困ったときに助けてくれる人が現れるし、人生なんとかなっていくのかなって信じてます。

ガーナタイム・フィリピンタイム

まあ世の中には時間を守らない人がたくさんいるということです。そしてそれを自分たちの国の名前を付けて正当化する人もいるということです。

あんまり厳密すぎても息苦しいですけど、時間を守れる人は信用できます。

かくいう私も大事な用事に遅刻をするということがあったんですけど、四年間でかなり矯正されました。

遅刻は待たされた方がかわいそうだし、申し訳ないですからね。

何のための「約束」だっていうことです。

でも、アクシデントによる遅刻を許す寛容さも持つべきだとも思います。

 

レディーファースト

日本人よりも、チェコ人、中国人、韓国人の男性の方がレディーファーストがうまいらしい(らしい)。

ファーストっていう言葉だとなんで女性が優先されなきゃいけないんだって思っちゃう男性諸君もいると思うんですけど、まあ男女づきあいで異性を思いやるっていうことの一環ということです。

実際もてなされたら、自分のことを優先してくれたら、うれしいし。

まあ恋愛的なお話はよく分からんのですけど、どこの国があーだとか、この国の人がこーだとかちょっとナンセンスかもしれないっすね、いろんなことを語る際に。

結局人それぞれだし。

一つ言えるのは日本の性教育の欠如により、異性のことをあまり知らないまま恋愛をしなければいけないという悲しみ。

小学校で女子が保健体育で生理の授業を受けてるときに男子はドッチボールとかしてたんですけど、まあ普通にみんなで受ければいいじゃんって今なら思います。

目を見て話す・聴くということ

コミュニケーションのお話。

これ大事。

目を見て聞くのは簡単なんですけど、目を見て話すのは結構大変。

考えながら話したら目線がどっか行くし、強調したい時だけ目を見ればいいかなって思います。

目を見て聞いて話せればその人との雰囲気が悪くなるってこともないんし、その人の話に興味を持って聞いてるってことが伝わります。

話してからすると聞き手の目を見れば、仮に相手が相槌を打ってても「あ、この人そんなにこの話に興味ないな」ってわかります。

つまらない話なら、その話を終わらせるように頑張って誘導しましょう笑

隙を見せる・突っ込ませる・ボケる・いじらせる・ネタキャラになる

個人的にはいじられたら勝ちだと思っていて、相手の懐に入った証拠だと思ってます。

この人は親近感持てるなって相手が思ってくれるし(たぶん)、自分の一部分を開示することで、相手もすこし打ち解けやすくなるかなって思います。

この人怪しいとか思われないし、ちょっと絡みにくいなとか思われないので、自分は積極的にネタを提供することで、仲良くなれると思っています。

別に無理して自分をさらけ出したりボケたりする必要はないので、場に応じてって感じです。

でも人と仲良く楽しくするのは個人的に好きなので、自然にそういうことができるならそのコミュニティは大切にしていくべきだと学びましたとさ。

男子校は勉強に集中できるが、何か(多分社会性、モラル等)を犠牲にしてる

学術的に男女別学の方が成績がいいらしいというのが実証されてるんですけど、

男子校に通った身としては男女別学ってあんまり社会的によくないなあって思います。

同時に大学で男女比が偏ってるのはもっと良くないなあと思います。

もちろん勉強できるのは素晴らしいんですけど、勉強がすべてではないし、そもそも

我々が生きている社会というのはおおよそ男女比が1:1でできているわけです。

偏りが生じた社会(世界という広い目でみると)で生きてきた人たちが、周りを俯瞰して行動をとらなきゃいけなくなったときに、(全ての人に対しては難しいけど)社会に対してバイアスのかかった意思決定をしちゃう可能性をはらんじゃうと思うですね。

でも結局日本に限らず世界中のいろんなところで社会何らかの階層で区別されたり、認識されたりしてるので、完全にバイアスを取り除いた意思決定って難しいよね。

だからせめて思いやり(相手の心境を想像する)くらいもちましょう。

 

スポーツ・芸術は言語を越える

これはガーナとフィリピンに行って学びました。

言葉が通じなくても、サッカー・バスケットボールはいろんなところで行われているし、上手くなくても一緒に混ざってプレーすれば仲良くなれます。

スポーツってすごい。

同じように、芸術。というとかなり幅が広いけど、言葉を介さずにコミュニケーションをとれるという点で一括りにしました。

美しいものは美しいし、不思議なものは不思議だし、面白いものは面白い。

ちなみに生まれ変わるならサッカーかバスケットボールを小さいころからやってみたかった。(水泳と野球とスキーは得意だけど、一緒にやるとなるとなかなか場所などが絞られる)

思ったことを口に出さない日本人

これね。

「おしとやか」、とか静かなたたずまいとかを美とする日本の伝統なのかもしれないですけど、日本人の多くはシャイだなって思います。

多分、人に物申すことで、相手を傷つけさらに、自分も嫌な思いをすると思うから、あまり思ったことを口に出さないんだと思うですね。

でも思ったことを言わないで流されてばかりだったら、人間じゃなくて人形。そう思うんですよね。

最初で述べましたが、全員に好かれるなんてありえないと思っていて、一定数自分のことを好ましく思わない人はいて、その人たちのことを気にするよりも、自分に興味を持ってくれて、自分の考えを主張できるような環境に身を置こうとしてみるっていうのは、自分にとっても色々含めていいことが起こるんじゃないかなって思います。

大事なことは、誹謗中傷はしちゃだめっていうことです。

具体的に、生まれ持った性質をディスるのは聞いていて不快感を覚えます。

そこら辺は良心に任せて、良いものは良い。悪いものは悪い。といえるような人になりたいし、そういう人といると心地よくて面白いなって思います。

こういうのを踏まえて、

自分が思ったことを体の外に出す(言う、書くなど)ことで、自分ってこういう考え方をする人なのかってより明確になるし、自己への理解も深まって、より自分に適合した人生を歩めるんじゃないのかなって思います。

目標を紙に書くとか、口に出してしまうとかもこういうことにつながっているのかなって思います。

だから、目標でも、思想でも、なんでも、外に吐き出しちゃいましょう。

自分のことを一番大事にすべき説

なんか自分のことを好きじゃない人って多いなって思いました。

周りの評価に振り回されて、自分を一番評価してるのはこの世界で自分なんだ!!くらいの意気で何事もやった方が、楽しいし、幸せじゃない??

気になるあの子に時間とお金と愛情をかけてもいいけど、まず自分に時間とお金と愛情をかけましょう。

てことを学びました。

ナルシストになれとまではいかないけど、自分のことを一番好きなのは自分くらいの心持で生きた方が多分ハッピーに生きれる。

他人が決めた(妄想した)幸せの定義って自分に当てはまるとは限らないですからね。

周りの目を気にして、周りに振り回されすぎたら、自分を好きになれなくなっちゃうじゃん。ね。

自分の幸せの定義は自分で決める。これが大学生になって学んだこと。

思ったより京大は普通の大学だった

北海道の片田舎にいたころ、京大への想像・妄想って、自分が好きなこと(特に高校生までではやらない様なこと)をひたすら突き詰めて、各々がそれぞれの得意分野で変態レベルに突き抜けてる人ばかりだと思ってたんですけど、実際に入ってみてそれは想像に過ぎなかったなって思いました。

自分が知っている京大生の70パーセントは普通にサークルやって、バイトをして、留学して、いい塩梅で単位を取って、大企業に就職していくという、ある意味高校生の時の自分の想定が大きく外れてたんですよ。

思ったより将来の夢とかやりたいこととか自分の人生の軸になるものを持ってる人っていないんだなって思ったし、大学でそれを探すのかと思えばそんな感じもあまりしなかったのが本音です。

それでも30パーセントくらいは話を聞いていて面白い人がいるんで、それを期待して京大を目指すのはありかなって思います。ほかの大学はよくわからないけど。

あとはチャンスがあるなら海外の大学に行けばいいと思います。

今までと全く違う環境で過ごすのって自分にとって革命がおこります。多分。

そもそも日本のことをあーだこーだ言うのって外から一回見てみないと客観的なことを言えないと思うんですよね。

だから、アメリカとかイギリスとかじゃなくても、アジアとかヨーロッパとかアフリカとかの成長著しい活気のある大学に行っちゃうのありだと思います。学費も日本より安いかもしれないし。奨学金も探せばアメリカとかの莫大な学費を支援してくれるところもあるでしょう。

まあ、海外の大学に「自分の意志で」飛び込んでいくくらいのことができる人は日本にいても魅力的な人になれるんでしょうけども笑。

あと、僕は小学校時代の友人たちのことが非常に好きなんですけど、なぜかというと面白いからです。

自分と全く違う世界で生きていて、自分がその人生をまねできるかというと現世ではできそうにないです。

かたや大学で勉強していて、専門学校に行き、働き、結婚し、子供を持ち、みんな精一杯生きてるなってことを感じられて面白いです。

「みんなちがってみんないい」といった詩人がかつていましたが、小学校はまさにそういう環境だなって思う。

ちなみに個人としては、京大の様々な制度・リソースを利用することが4年間でできて、京大に在学していなければできなかったであろうことも実現できたので、結構いい大学だなって思ってます。京大生はせっかく税金も多額に投入されて、恵まれた環境にいるのですからその環境をもっと利用すべきだと思いますよ。

何かに夢中になるということ

何かに夢中になることはかっこいいです。

なにかに向かって、「自分はこれが好きなんだ、これが得意なんだと思って」夢中になれば自然と自分のことが好きになれると思うし、自己肯定感にもつながります。

結果がすべて

小学校、中学校、高校では努力が(も)大事といわれてきたかもしれません。

しかし、少なくとも大学ではそれは通用しないなって感じました。

世の中結果がすべてなんです。

仮に裏でものすごく努力をしていたとしても、何か目に見える形で取り組んでいることに結果を出さないと、この世界にあなたがそれに取り組んだという事実は残りません。

ていうことを学びました。

人生を先読みしすぎない

そんなに予測精度の高くないあなたの未来予知、時間の無駄じゃない?

妄想するのは楽しいかもしれないけど、とりあえず今何かに全力で取り組んだ方が未来がよくなる可能性高くない?

今を全力で生きましょうよ。

Work hard, play hard, rest hard, sleep hard, eat hard, drink hard, enjoy hard etc

ってことですよね。(この英語あってるか知らんけど)

東京事変の閃光少女(リンクYouTube)という曲がまさにぴったりです。

ぜひ一度ご視聴ください。

 

それでは、この大学で得たことが、誰かにとって多少刺激になるといいなと思いながら筆をおきます。